こんにちは、シミズ堅田店です。
今回は仕事とはまったく関係ない話ですが、
終盤にさしかかった冬期オリンピックについて少しお付き合いください
やはり注目されている競技はよく中継されますが、
スケルトン、バイアスロンなどの競技は、私個人に限ってですが、名前ぐらいしか知りませんでした。
北欧の人にはすごい競技である事は知っていましたが…。
具体的スケルトンとは、
https://www.joc.or.jp/sports/images/skeleton01.jpg
氷で造られたコースを頭を前にして、腹ばいになって鉄製のそりで滑り降り、そのタイムを競う競技です。
スタートではそりに装着されているサドル部分を握り、氷上を全速力で押して加速させ、加速が最高潮に達した時に、バレーボールのフライングレシーブの様に前方に飛び込みながらそりに飛び乗ります。
時速140kmにも及ぶ速度らしいです。想像しただけでもめちゃくちゃ怖い!!
次にバイアスロンですが
https://www.joc.or.jp/sports/images/biathlon02.jpg
クロスカントリースキーとライフル射撃を組み合わせて行う競技です。
ライフル銃を背負ってクロスカントリースキーで滑走し、その途中で射撃をするという
スキー走力の速さと射撃の命中率の正確さを競います。
「スキー走で最大スピードを追及することにより心拍数が極限に達した状態から、ライフルの動揺を抑えるためにいかに短時間に心拍数を下げ命中率を上げるか」という、「動と静」の相反する
競技性を同時に行うところにあります。テレビで見たとき本当に極限の集中力が必要な競技だと思いました
もっと、知らないスポーツも沢山ありますが、恐怖心を乗り越える力、集中力、持続力など、
全てにおいて選手の方はすごいと思います。
2022年02月18日
日本であまりテレビ中継されないオリンピック競技
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| 堅田 マイングラス・タイム&ジュエリー
2022年01月13日
月刊 江若鉄道跡をいく2
こんにちは、まだまだ寒い日が続きます。皆様方くれぐれもご自愛くださいませ。
巷ではコロナ禍の中、おうち時間を有意義に過ごすべく室内で観葉植物を育てるのがブームになっていると聞きます。そんな中、我が家の観葉植物の一つ、幸せを呼ぶといわれるドラセナに花が咲きました。
このドラセナ、実は以前には某店内に20年以上飾ってあって、最後の方には9割方枯れていたものを4年ほど前に下げて頂き、家でなんとか復活させてあげようと育てていたものなのです。
聞けばドラセナの花は滅多に咲かないものらしく、瀕死の状態からそこまで復活してくれたウチのドラセナ君には感謝状を送ってあげたいと思います。

(あまり綺麗な花とは言えませんが・・・)
さてさて前回浜大津駅を出発して「大津絵の道」を通過した江若鉄道路線跡の旅、今回は第2回となります。
線路はその後、皇子山運動公園前の道をまっすぐ北に向かって伸びていきます。
しばらくは現在のJR湖西線と同じルートで重なりながら進み、唐崎駅を過ぎた辺りからは住宅街の真ん中を走って坂本方面まで進みます。

(大津京から唐崎方面へ)
どこにでもありそうな道。
このような日常の何気なく通っている道が、実は昔に電車が走っていた線路だった。
別に私は鉄ちゃんではないですが、普段くらしている目の前の道が実は50年近く前に廃線になった線路で、当時その周りには線路を中心とした暮らしが広がっていたなどとイメージするとなんだか浪漫を感じませんか?私は感じます。
江若鉄道は跡形もなく残っていませんが、路線跡は現在の生活道路として滋賀県の湖西地区には多く残っています。
まさに“手が届く歴史”がそこにあるのです。
湖西地区を北上する江若鉄道は一路坂本の街並みの中を抜けていきます。
坂本地区は昔から有名な明智光秀の建てた坂本城などで栄えていた町で、付近にはいまでも雰囲気のある古い街並みが多く残っています。
江若鉄道の駅名でいえば叡山駅あたり、景色も良いのでちょっと途中下車してみませんか。
この辺りでのハイライトといえば、やはり坂本城跡でしょう。
坂本城本丸跡付近は小さいながらも小奇麗な公園として整備されていて、そこはそこで見所なのですが、この時期でしか見られない景色が琵琶湖岸に広がってます。
江若鉄道叡山駅を降り、東へ少し歩いた琵琶湖岸にこんな目立たない標識がありました。

琵琶湖岸の渇水で普段は湖の底に隠れてしまっている坂本城の石垣跡が、琵琶湖の水位の低下によって現れていたのです。
畑のあぜ道を農家の人が作業されている横を御免なさいと言いながら進むとそれはありました。

普段は見られない石垣跡。400年ほど前に建てらて現存していない坂本城。
手が届かない歴史建造物なのに、今は目の前の手が届きそうな歴史として見ることが出来ました。
坂本を過ぎた江若鉄道の旅は堅田へ向かってさらに北上していきます。
続きます。
巷ではコロナ禍の中、おうち時間を有意義に過ごすべく室内で観葉植物を育てるのがブームになっていると聞きます。そんな中、我が家の観葉植物の一つ、幸せを呼ぶといわれるドラセナに花が咲きました。
このドラセナ、実は以前には某店内に20年以上飾ってあって、最後の方には9割方枯れていたものを4年ほど前に下げて頂き、家でなんとか復活させてあげようと育てていたものなのです。
聞けばドラセナの花は滅多に咲かないものらしく、瀕死の状態からそこまで復活してくれたウチのドラセナ君には感謝状を送ってあげたいと思います。

(あまり綺麗な花とは言えませんが・・・)
さてさて前回浜大津駅を出発して「大津絵の道」を通過した江若鉄道路線跡の旅、今回は第2回となります。
線路はその後、皇子山運動公園前の道をまっすぐ北に向かって伸びていきます。
しばらくは現在のJR湖西線と同じルートで重なりながら進み、唐崎駅を過ぎた辺りからは住宅街の真ん中を走って坂本方面まで進みます。

(大津京から唐崎方面へ)
どこにでもありそうな道。
このような日常の何気なく通っている道が、実は昔に電車が走っていた線路だった。
別に私は鉄ちゃんではないですが、普段くらしている目の前の道が実は50年近く前に廃線になった線路で、当時その周りには線路を中心とした暮らしが広がっていたなどとイメージするとなんだか浪漫を感じませんか?私は感じます。
江若鉄道は跡形もなく残っていませんが、路線跡は現在の生活道路として滋賀県の湖西地区には多く残っています。
まさに“手が届く歴史”がそこにあるのです。
湖西地区を北上する江若鉄道は一路坂本の街並みの中を抜けていきます。
坂本地区は昔から有名な明智光秀の建てた坂本城などで栄えていた町で、付近にはいまでも雰囲気のある古い街並みが多く残っています。
江若鉄道の駅名でいえば叡山駅あたり、景色も良いのでちょっと途中下車してみませんか。
この辺りでのハイライトといえば、やはり坂本城跡でしょう。
坂本城本丸跡付近は小さいながらも小奇麗な公園として整備されていて、そこはそこで見所なのですが、この時期でしか見られない景色が琵琶湖岸に広がってます。
江若鉄道叡山駅を降り、東へ少し歩いた琵琶湖岸にこんな目立たない標識がありました。

琵琶湖岸の渇水で普段は湖の底に隠れてしまっている坂本城の石垣跡が、琵琶湖の水位の低下によって現れていたのです。
畑のあぜ道を農家の人が作業されている横を御免なさいと言いながら進むとそれはありました。

普段は見られない石垣跡。400年ほど前に建てらて現存していない坂本城。
手が届かない歴史建造物なのに、今は目の前の手が届きそうな歴史として見ることが出来ました。
坂本を過ぎた江若鉄道の旅は堅田へ向かってさらに北上していきます。
続きます。
posted by optical-shimizu_blog at 16:56| Comment(0)
| 堅田 マイングラス・タイム&ジュエリー
2022年01月07日
新年あけましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。
堅田店 マイングラス タイム&ジュエリーです。
本年もよろしくお願いいたします。
昨年は、東京オリンピックもいろいろとありましたが無事に終わり、
コロナ禍も、終わりに近づいてきたと期待できると思わせる年でした。
2022年は冬季オリンピックもあり、旅行会社も「予約でいっぱいの月もある」と嬉しい悲鳴をあげる
状況でスタートしました。 が、沖縄県をはじめまたかなり怪しい状況になってきました。
わが滋賀県も、沖縄ほどではありませんが安心は出来ないと思います。
ここから本題にはいりますが、
前回ご紹介しました誕生石が63年ぶりに追加されました
何故か
といわれると
全国宝石卸商共同組合によると、追加の理由を「国内においてさまざまな誕⽣⽯リストが混在しており、消費者が混乱するため、業界として誕⽣⽯を統⼀することを第⼀に考えました」と発表。「誕⽣⽯改訂により、消費者の選択の幅が広がり、宝⽯への関⼼を⾼めていただきたいという願いも込めています」と説明しました。
追加された誕生石をご紹介したいと思います
2月の誕生石:「クリソベリル・キャッツ・アイ」
3月の誕生石:「ブラッドストーン」と「アイオライト」ブラッドストーン
4月の誕生石:「モルガナイト」
6月の誕生石:「アレキサンドライト」
7月の誕生石:「スフェーン」
8月の誕生石:「スピネル」
9月の誕生石:「クンツァイト」
12月の誕生石:「タンザナイト」と「ジルコン」
以上10石が追加されました。
宝飾に詳しい人であればご存知でしょうが、なかなか聞きなれない石もありますね。
「是非一度どのようなものか見ていただけたらな」と思います
最後になりましたが、
リプル店店長の娘様をはじめ、今年新成人になられる方おめでとうございます。
堅田店でした。
堅田店 マイングラス タイム&ジュエリーです。
本年もよろしくお願いいたします。
昨年は、東京オリンピックもいろいろとありましたが無事に終わり、
コロナ禍も、終わりに近づいてきたと期待できると思わせる年でした。
2022年は冬季オリンピックもあり、旅行会社も「予約でいっぱいの月もある」と嬉しい悲鳴をあげる
状況でスタートしました。 が、沖縄県をはじめまたかなり怪しい状況になってきました。
わが滋賀県も、沖縄ほどではありませんが安心は出来ないと思います。
ここから本題にはいりますが、
前回ご紹介しました誕生石が63年ぶりに追加されました
何故か

全国宝石卸商共同組合によると、追加の理由を「国内においてさまざまな誕⽣⽯リストが混在しており、消費者が混乱するため、業界として誕⽣⽯を統⼀することを第⼀に考えました」と発表。「誕⽣⽯改訂により、消費者の選択の幅が広がり、宝⽯への関⼼を⾼めていただきたいという願いも込めています」と説明しました。
追加された誕生石をご紹介したいと思います
2月の誕生石:「クリソベリル・キャッツ・アイ」
3月の誕生石:「ブラッドストーン」と「アイオライト」ブラッドストーン
4月の誕生石:「モルガナイト」
6月の誕生石:「アレキサンドライト」
7月の誕生石:「スフェーン」
8月の誕生石:「スピネル」
9月の誕生石:「クンツァイト」
12月の誕生石:「タンザナイト」と「ジルコン」
以上10石が追加されました。
宝飾に詳しい人であればご存知でしょうが、なかなか聞きなれない石もありますね。
「是非一度どのようなものか見ていただけたらな」と思います
最後になりましたが、
リプル店店長の娘様をはじめ、今年新成人になられる方おめでとうございます。
堅田店でした。
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| 堅田 マイングラス・タイム&ジュエリー
2021年11月26日
月刊 江若鉄道跡をいく
こんにちは、今年の冬も先日(令和3年11月19日)長浜の山本山に大鷲のおばあちゃんが飛来したそうです。
齢30歳のおばあちゃん、自然界の中では特別長生きしている個体だそうで、平均寿命を大きく超えているそうです。
そんな神々しささえ感じる大鷲のおばあちゃんですが、それでも気さくにおばあちゃんと呼べる感じがとても良いです。
さて今回の雑談は。
大鷲のおばあちゃんは遥か北方ロシアから遥々滋賀県まで旅をしてくるそうですが、皆さんもそろそろ旅行とかしたくなってきているのではないでしょうか?
そこで今回から私の担当の回では何度かに分けて貴方を鉄道の旅へとお誘いしたいと思います。
もちろんただ単に列車に乗って頂くのではありません。今は無き鉄道、江若鉄道の路線跡を時空を超えて皆さんと一緒に旅していければと思っています。
まず第一に江若鉄道って何?と思われる方もおられるかと思います。
江若鉄道とは1921年から1969年11月1日までの間、浜大津から近江今津までの湖西路を走っていた鉄道の事です。
いまはJR湖西線に生まれ変わって、江若鉄道はもちろん走ってはいませんが、江若鉄道の路線跡は湖西地区にお住いの方の生活のすごそこに今でも存在するのです。
近所のどこが、どの道が路線跡なのか?調べてみるのもこの旅の醍醐味の一つとなりますよ。
まず江若鉄道の南の始発点は現在の京阪鉄道浜大津駅近辺で、ここからが旅のスタートとなります!

駅を出発した列車はまずお向かいの建物「あすと浜大津」に向かいます。
ここから路線跡はしばらくの間、「大津絵の道」という遊歩道として整備されていて路線跡の大きな見所の一つとなっています。
スタート地点のあすと浜大津では、代表的な大津絵の「藤娘」や「鬼の念仏」が今回の旅のスタートを見守ってくれています。


あすと浜大津を抜けると、いきなり普通の住宅地の道を歩くことになります。

一見マンションの間を走る遊歩道のようですが、これこそが江若鉄道の路線跡で「大津絵の道」として整備されている道なのです。
大津絵の道には、足元のタイルにいくつかの大津絵がはめ込まれていて、道行く人を楽しませてくれます。

この遊歩道自体がまるで公園のように整備されていて、天気のいい日などはただ歩いているだけでも気持ちが良くなってきてしまいます。

途中の疎水あたりでは水鳥たちも気持ち良さそうに日光浴しながら泳いでいました。
大津絵の道には他にも、大津絵の書かれたマンホールや、意味ありげな古い標識などがあって飽きさせません。

ゆっくりと歩いて15分から20分くらいでしょうか、大津絵の道の終点がやってきます。
終点では大きな「鬼の寒念仏」が迎えてくれます。

どうですか?今は無き江若鉄道ですが、こんなにも素敵な道として生まれ変わっているのです。
私はこの遊歩道を発見してから、江若鉄道にものすごく興味をもってしまいました。
もし近くに行く事があったらぜひ一度散歩してみてください。
そんなこんなで江若鉄道跡の旅もまだまだ始まったばかり。
終点の近江今津駅まで他にもどのような見所が待っているのでしょうか?
興味のある皆様は、もう少しの間お付き合いください。
齢30歳のおばあちゃん、自然界の中では特別長生きしている個体だそうで、平均寿命を大きく超えているそうです。
そんな神々しささえ感じる大鷲のおばあちゃんですが、それでも気さくにおばあちゃんと呼べる感じがとても良いです。
さて今回の雑談は。
大鷲のおばあちゃんは遥か北方ロシアから遥々滋賀県まで旅をしてくるそうですが、皆さんもそろそろ旅行とかしたくなってきているのではないでしょうか?
そこで今回から私の担当の回では何度かに分けて貴方を鉄道の旅へとお誘いしたいと思います。
もちろんただ単に列車に乗って頂くのではありません。今は無き鉄道、江若鉄道の路線跡を時空を超えて皆さんと一緒に旅していければと思っています。
まず第一に江若鉄道って何?と思われる方もおられるかと思います。
江若鉄道とは1921年から1969年11月1日までの間、浜大津から近江今津までの湖西路を走っていた鉄道の事です。
いまはJR湖西線に生まれ変わって、江若鉄道はもちろん走ってはいませんが、江若鉄道の路線跡は湖西地区にお住いの方の生活のすごそこに今でも存在するのです。
近所のどこが、どの道が路線跡なのか?調べてみるのもこの旅の醍醐味の一つとなりますよ。
まず江若鉄道の南の始発点は現在の京阪鉄道浜大津駅近辺で、ここからが旅のスタートとなります!

駅を出発した列車はまずお向かいの建物「あすと浜大津」に向かいます。
ここから路線跡はしばらくの間、「大津絵の道」という遊歩道として整備されていて路線跡の大きな見所の一つとなっています。
スタート地点のあすと浜大津では、代表的な大津絵の「藤娘」や「鬼の念仏」が今回の旅のスタートを見守ってくれています。


あすと浜大津を抜けると、いきなり普通の住宅地の道を歩くことになります。

一見マンションの間を走る遊歩道のようですが、これこそが江若鉄道の路線跡で「大津絵の道」として整備されている道なのです。
大津絵の道には、足元のタイルにいくつかの大津絵がはめ込まれていて、道行く人を楽しませてくれます。

この遊歩道自体がまるで公園のように整備されていて、天気のいい日などはただ歩いているだけでも気持ちが良くなってきてしまいます。

途中の疎水あたりでは水鳥たちも気持ち良さそうに日光浴しながら泳いでいました。
大津絵の道には他にも、大津絵の書かれたマンホールや、意味ありげな古い標識などがあって飽きさせません。

ゆっくりと歩いて15分から20分くらいでしょうか、大津絵の道の終点がやってきます。
終点では大きな「鬼の寒念仏」が迎えてくれます。

どうですか?今は無き江若鉄道ですが、こんなにも素敵な道として生まれ変わっているのです。
私はこの遊歩道を発見してから、江若鉄道にものすごく興味をもってしまいました。
もし近くに行く事があったらぜひ一度散歩してみてください。
そんなこんなで江若鉄道跡の旅もまだまだ始まったばかり。
終点の近江今津駅まで他にもどのような見所が待っているのでしょうか?
興味のある皆様は、もう少しの間お付き合いください。
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| 堅田 マイングラス・タイム&ジュエリー
2021年10月14日
秋の夜長の無駄話
一年で一番過ごしやすい季節のひとつである秋10月、今年は例年よりも気温が高い日が多いですが、それでも湿度が少ない分過ごしやすい時期となってます。
昔に比べて、どんどん季節感が変化していく昨今ですが、秋のお彼岸の時期になると田んぼの土手などを真っ赤に染める彼岸花は、毎年計ったように同じ9月20くらいの時期に咲くので凄いなーと毎回感動します。
そんなこんなの秋本番、今回も些末な小ネタにお付き合いいただければ嬉しいです。
さて、人には味覚、視覚、聴覚、嗅覚、触覚と五感というものがありますよね。
でも残念ながらその五感も、老眼で近くのものが見えにくくなってきたり、難聴になって言葉が聞きづらくなってきたりと年齢とともに衰えていきます。
では、人の五感のうちで一番最初に衰えてしまう感覚はどれか?最後まで残る感覚は一体何だろう?と思ったことはありませんか?私はあります。
最初に一般的に感覚の衰えていく順番を並べていくと、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の順番といわれています。(諸説あり、何を基準にするかによっても変わります)
視覚、聴覚、味覚は10代から20代の間に成長のピークを迎え、その後は下降線を描いていきます。
逆に嗅覚、触覚などは60代70代くらいまで衰え方が少ないらしいです。
視覚、聴覚、味覚などの感覚のピークの上限を上げるためには、やはり子供さんの小さいうちにいろいろな経験をさせてあげるのが一番だとか。
ここから先は科学展根拠のない完全に素人の思い付きです。
野生動物が天敵から身を守るには、近づいてくる天敵の存在をいち早く把握しなければなりません。
太陽の光さえ届かない海の底に住む深海魚などは視力が退化しています、もともと聴覚の無い生き物はたくさん存在するらしいですが(聴覚の代わりになるものは持っています)、彼らはそれでも生きて子孫を残しています。
視覚聴覚ももちろん大切ですが、視覚には見える範囲、明るさなど限度がありますし、蛇など足音を立てないで(もともと蛇に足はないですが)近づいてくる敵も沢山います。
なるほど、その中でいち早く敵の存在を把握するには嗅覚が一番適切なのかもしれません。風向きにもよりますが敵の存在を把握できる範囲も嗅覚を生かした方が広くなります。
食べられるものかどうか確認するには味覚が必要でしょうし、生き物が生きていくうえで本当に最低限必要な感覚が順番に残っていくのかもしれません。
じゃぁなぜ触覚が衰えるのが一番遅いのか?見えなくっても聞こえなくっても匂いが嗅げなくっても、最後の最後は直接相手に触れられたら誰でも存在がわかるだろう、そん時はダッシュで逃げろ!ということなんでしょうね、確かに。
秋の夜長、まったくの無駄話を考えて過ごすのも楽しいですよ。。。
昔に比べて、どんどん季節感が変化していく昨今ですが、秋のお彼岸の時期になると田んぼの土手などを真っ赤に染める彼岸花は、毎年計ったように同じ9月20くらいの時期に咲くので凄いなーと毎回感動します。
そんなこんなの秋本番、今回も些末な小ネタにお付き合いいただければ嬉しいです。
さて、人には味覚、視覚、聴覚、嗅覚、触覚と五感というものがありますよね。
でも残念ながらその五感も、老眼で近くのものが見えにくくなってきたり、難聴になって言葉が聞きづらくなってきたりと年齢とともに衰えていきます。
では、人の五感のうちで一番最初に衰えてしまう感覚はどれか?最後まで残る感覚は一体何だろう?と思ったことはありませんか?私はあります。
最初に一般的に感覚の衰えていく順番を並べていくと、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の順番といわれています。(諸説あり、何を基準にするかによっても変わります)
視覚、聴覚、味覚は10代から20代の間に成長のピークを迎え、その後は下降線を描いていきます。
逆に嗅覚、触覚などは60代70代くらいまで衰え方が少ないらしいです。
視覚、聴覚、味覚などの感覚のピークの上限を上げるためには、やはり子供さんの小さいうちにいろいろな経験をさせてあげるのが一番だとか。
ここから先は科学展根拠のない完全に素人の思い付きです。
野生動物が天敵から身を守るには、近づいてくる天敵の存在をいち早く把握しなければなりません。
太陽の光さえ届かない海の底に住む深海魚などは視力が退化しています、もともと聴覚の無い生き物はたくさん存在するらしいですが(聴覚の代わりになるものは持っています)、彼らはそれでも生きて子孫を残しています。
視覚聴覚ももちろん大切ですが、視覚には見える範囲、明るさなど限度がありますし、蛇など足音を立てないで(もともと蛇に足はないですが)近づいてくる敵も沢山います。
なるほど、その中でいち早く敵の存在を把握するには嗅覚が一番適切なのかもしれません。風向きにもよりますが敵の存在を把握できる範囲も嗅覚を生かした方が広くなります。
食べられるものかどうか確認するには味覚が必要でしょうし、生き物が生きていくうえで本当に最低限必要な感覚が順番に残っていくのかもしれません。
じゃぁなぜ触覚が衰えるのが一番遅いのか?見えなくっても聞こえなくっても匂いが嗅げなくっても、最後の最後は直接相手に触れられたら誰でも存在がわかるだろう、そん時はダッシュで逃げろ!ということなんでしょうね、確かに。
秋の夜長、まったくの無駄話を考えて過ごすのも楽しいですよ。。。
posted by optical-shimizu_blog at 18:04| Comment(0)
| 堅田 マイングラス・タイム&ジュエリー