皆様、暑中お見舞い申し上げます。
夏休みなど利用されて、旅行などに出かける方も多くおられると思います。
日常ではない何かに触れることで、気分一新日常をよりよく過ごすために旅は必要ですよね。
この暑い中旅行するなら、岩手県の龍泉洞、山口県の秋芳洞、高知県の龍河洞などの鍾乳洞なんぞがおススメかと、別世界のように涼しいらしいですよ。
滋賀県民なら河内の風穴でもよろしいかと思いますが。
でも最近は物価高やインバウンド価格などで、旅費も結構負担になってしまいますよね。
では、昔の人が旅をするのに費用は一体いくらくらい必要だったのでしょうか?
伊勢参りなんか、一生に一度のビッグイベントだったらしいですし、何なら自分はお参りに行けないので、代わりに飼い犬を伊勢参りに向かわせた(おかげ犬)とかいう話も聞きますし、結構旅費もかかったのでしょうかね。
時は江戸時代19世紀初頭、江戸日本橋をスタート、京都三条大橋まで向かう世にいう東海道五十三次、約495キロの旅程にかかった費用を計算してみます。
(貨幣価値はもちろん時代によって相違があるので、ここでは1文25円として計算します)
駕籠で進むような御大名やお殿様と違って庶民は歩きが基本、1日平均30キロ以上は進んでいたらしいです。旅費が心もとない人は日の出前から旅籠(はたご)を出発して走るように歩き夜遅くに宿泊して1日50キロ以上進んだとか!
まぁ、ここでは平均35キロ進んだとして旅行の日程は片道14〜15日くらいとします。
泊まる宿泊施設、旅籠の宿泊費は平均的なところで一泊二食付きで200文(約5,000円)
素泊まりの木賃宿などもありましたが、その場合食材を自分で調達しないとダメなので長期間の旅行には向かなかったでしょう。
日中のお昼ごはんや、旅先の名物を食すおやつ代(これ絶対必要)で1日約80文(2,000円)
他は3,4日で交換必要な草鞋代(一足15,6文×4足で1,500円から2,000円)、大井川など橋の架かっていない川の人足に支払う料金が最低60文〜120文(2,000円)、このあたりの話は弥次喜多道中参照で。
以上普通の庶民が旅した東海道の旅にかかる費用の合計は、
最低12万円程度〜ちょっと贅沢して20万円、往復で40万円といったところでしょうか。
おや?一生に1度の旅行と考えると意外とリーズナブル、今のヨーロッパなどへの海外旅行並み。
もちろん贅沢をしようと思えば金額は天井知らずでしょうが、これなら意外と気楽にでかけられそうな。
実際には、当時の人は旅費よりも道中の身の安全や、自身の健康状態などに不安を感じていたところが強かったと思いますが、往復一か月休める時間がある人にとっては旅行というのは結構よい趣味なのだったのかもしれません。
おまけ
上で江戸京都の一般的な旅費が往復で40万円と計算しましたが、40万円という金額がどれくらいの感覚だったのか当時の人のお給料を物差しにしてみます。
(わかりやすいように、これからは1両を基準価格とします。1両は約4,000文、現在で約10万円です、旅費が往復40万でしたから4両となります)
歌舞伎などの人気役者は千両役者と呼ばれるように、現代の感覚で年収1億円!
相撲取り(関取以上)は十両という番付があるように、月収10両約100万円、年収で1,200万以上
花街の花魁は年収約1億円、(ただし、衣装代、化粧品代、宴席などの場所代は自分持ち、身の回りのスタッフの給料など経費が1億1千万もかかって赤字だったとか)
近所の町医者で年収約50両、500万円(意外に少ない)
農家のお家で15両、150万円(農家の家族は多かった)
住み込みのお女中さんで年収約5両、50万円(ただし衣食住は雇い主が負担なので全額お小遣いor実家への仕送り)
そう考えると、役者や花形商売のスーパーな存在だった人たちを除く一般庶民にとっては、旅というのはやはり贅沢なものだったのかもしれません。
2026年07月27日
僕らが旅に出る理由
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| 堅田 マイングラス・タイム&ジュエリー
2026年07月14日
土用の丑
こんにちは、堅田店です
梅雨明けもし、7月も半ばに入り夏本番になってきました
そこで「皆さん」夏バテしないように鰻を食べますか?
ご存知の通り「土用の丑の日」です 今年は7月26日です
1年に数回ある土用の丑の日ですが夏に注目されがちですね
簡単にいわれを調べてみました
土用の丑の日(どようのうしのひ)とは、立春・立夏・立秋・立冬の前の約18日間(土用)にある「丑の日(うしのひ)」のことです。
「土用」とは季節の変わり目を示す期間であり、「丑の日」とは日にちを十二支で数えた際に丑にあたる日です。
土用:季節の変わり目の約18日間
土用の丑の日:土用の期間中にある丑の日
簡単にいえば、土用の丑の日は「季節の変わり目に訪れる丑の日」を指します。
そのため、土用の丑の日は年に複数回ありますが、一般的には夏の土用にある丑の日を指すことがほとんどです。土用は季節の変わり目で体調を崩しやすいため、昔から食べ物で体調を整える「土用の食養生」という考え方がありました。
とくに夏の土用の丑の日には、「う」のつく食べ物を食べると夏バテしないとされ、うなぎを食べる習慣が有名です。
うなぎのほかに、暑い夏を乗り切るために土用の丑に食べられていた「う」のつくものは、うどんや梅干し、瓜(うり、キュウリやスイカ、冬瓜※など)が代表的です。
栄養価が高い「うなぎ」、食欲がなくても食べやすい「うどん」、さわやかな酸味が食欲を高める
「梅干し」、水分補給ができる「瓜」などを取り入れて体調を整える
土用の丑の日は、暑い夏を元気に過ごすための知恵がつまった行事です。由来を知り、季節の習わしを楽しんでみましょう。土用の丑の日には、ぜひ「う」のつくものをで味わいながら、元気に夏を過ごしてください。
梅雨明けもし、7月も半ばに入り夏本番になってきました
そこで「皆さん」夏バテしないように鰻を食べますか?
ご存知の通り「土用の丑の日」です 今年は7月26日です
1年に数回ある土用の丑の日ですが夏に注目されがちですね
簡単にいわれを調べてみました
土用の丑の日(どようのうしのひ)とは、立春・立夏・立秋・立冬の前の約18日間(土用)にある「丑の日(うしのひ)」のことです。
「土用」とは季節の変わり目を示す期間であり、「丑の日」とは日にちを十二支で数えた際に丑にあたる日です。
土用:季節の変わり目の約18日間
土用の丑の日:土用の期間中にある丑の日
簡単にいえば、土用の丑の日は「季節の変わり目に訪れる丑の日」を指します。
そのため、土用の丑の日は年に複数回ありますが、一般的には夏の土用にある丑の日を指すことがほとんどです。土用は季節の変わり目で体調を崩しやすいため、昔から食べ物で体調を整える「土用の食養生」という考え方がありました。
とくに夏の土用の丑の日には、「う」のつく食べ物を食べると夏バテしないとされ、うなぎを食べる習慣が有名です。
うなぎのほかに、暑い夏を乗り切るために土用の丑に食べられていた「う」のつくものは、うどんや梅干し、瓜(うり、キュウリやスイカ、冬瓜※など)が代表的です。
栄養価が高い「うなぎ」、食欲がなくても食べやすい「うどん」、さわやかな酸味が食欲を高める
「梅干し」、水分補給ができる「瓜」などを取り入れて体調を整える
土用の丑の日は、暑い夏を元気に過ごすための知恵がつまった行事です。由来を知り、季節の習わしを楽しんでみましょう。土用の丑の日には、ぜひ「う」のつくものをで味わいながら、元気に夏を過ごしてください。
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| 堅田 マイングラス・タイム&ジュエリー
2026年05月29日
そうだ、安曇川へ行こう
今回は最近気になる安曇川町の事を。
安曇川町の観光場所として名があがる所としては

道の駅 藤樹の里あどがわ


著名な神社

びわ湖 こどもの国

謎の中国式庭園

シミズ安曇川店
など見どころは沢山ありますが、今回私が気になってお話したいのは少し昔の安曇川の話。
実は安曇川には古墳が多く見つかっています。
琵琶湖にそそぐ安曇川下流は広大な扇状地・三角州になっていて土地が肥沃だったこと、中国などの大陸文化が朝鮮半島から福井県若狭から入って大和地方へ届くまでの道筋途中だった事から、大陸からやってきた人が住み着き、大陸の文明が伝えられ安曇川は縄文の昔から栄えた土地でした。
今の感覚では首都東京(その時代では大和王朝?)の近くにある海(琵琶湖)のある町、横浜と同じくらいのイメージでしょうか。
ここで私が小耳にはさんだ噂話を一つ。
今から1300年以上の昔、朝鮮半島を収めていた百済王国と新羅王国の間に大きな戦争がありました、百済を応援していた日本も百済を助けるべく加勢に入ります。
しかし残念ながら唐の強力な応援をもらった新羅に百済は完敗し百済王国は滅亡してしまいます。
滅亡した百済の王族は国を逃れ、海を渡り安曇川の土地にたどり着き、いまの三尾里あたりで暮らしたと・・・。
この王様一族も、もし新羅の追手に見つかったらやばいことになってしまいますので、誰にも知られることなく静かにひっそりと暮らしていたことでしょう。
でも、昔の安曇川の人たちはこの王族の方たちをとても大切にし、親切に尽くしてあげたそうです。つらい思いをした王族の方も、ここでの暮らしにすこしは救われたのかもしれません。
このお話は正史には載っていません、あくまで噂話です。
もしかしたら荒唐無稽な話かもしれませんが、このおとぎ話のような昔話が好きで本当にそうだったら良いなと思いまし、亡国の流浪の王様のお話などロマンチックにもほどがありますよ。
他にも歴史から忽然と消えた安曇氏の話とか、リアル天皇家の始祖である継体天皇のお話とか話題はたくさんありますが、紙面の都合上割愛させていただきます。
そんな安曇川の歴史の一端が知れる企画展が開かれています。
(令和8年4月7日〜12月27日まで)

今回は戦国時代の高島市がメインの企画ですが、古代の人たちの暮らしぶりがわかる展示もたくさんありました。
自分はこんな昔の人の暮らし方が想像できる企画物が大好きなので満足です。
もし少しでも興味がありましたら是非、入館料300円!お値打ちです。
安曇川町の観光場所として名があがる所としては
道の駅 藤樹の里あどがわ
著名な神社
びわ湖 こどもの国
謎の中国式庭園
シミズ安曇川店
など見どころは沢山ありますが、今回私が気になってお話したいのは少し昔の安曇川の話。
実は安曇川には古墳が多く見つかっています。
琵琶湖にそそぐ安曇川下流は広大な扇状地・三角州になっていて土地が肥沃だったこと、中国などの大陸文化が朝鮮半島から福井県若狭から入って大和地方へ届くまでの道筋途中だった事から、大陸からやってきた人が住み着き、大陸の文明が伝えられ安曇川は縄文の昔から栄えた土地でした。
今の感覚では首都東京(その時代では大和王朝?)の近くにある海(琵琶湖)のある町、横浜と同じくらいのイメージでしょうか。
ここで私が小耳にはさんだ噂話を一つ。
今から1300年以上の昔、朝鮮半島を収めていた百済王国と新羅王国の間に大きな戦争がありました、百済を応援していた日本も百済を助けるべく加勢に入ります。
しかし残念ながら唐の強力な応援をもらった新羅に百済は完敗し百済王国は滅亡してしまいます。
滅亡した百済の王族は国を逃れ、海を渡り安曇川の土地にたどり着き、いまの三尾里あたりで暮らしたと・・・。
この王様一族も、もし新羅の追手に見つかったらやばいことになってしまいますので、誰にも知られることなく静かにひっそりと暮らしていたことでしょう。
でも、昔の安曇川の人たちはこの王族の方たちをとても大切にし、親切に尽くしてあげたそうです。つらい思いをした王族の方も、ここでの暮らしにすこしは救われたのかもしれません。
このお話は正史には載っていません、あくまで噂話です。
もしかしたら荒唐無稽な話かもしれませんが、このおとぎ話のような昔話が好きで本当にそうだったら良いなと思いまし、亡国の流浪の王様のお話などロマンチックにもほどがありますよ。
他にも歴史から忽然と消えた安曇氏の話とか、リアル天皇家の始祖である継体天皇のお話とか話題はたくさんありますが、紙面の都合上割愛させていただきます。
そんな安曇川の歴史の一端が知れる企画展が開かれています。
(令和8年4月7日〜12月27日まで)
今回は戦国時代の高島市がメインの企画ですが、古代の人たちの暮らしぶりがわかる展示もたくさんありました。
自分はこんな昔の人の暮らし方が想像できる企画物が大好きなので満足です。
もし少しでも興味がありましたら是非、入館料300円!お値打ちです。
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2026年05月18日
暑い日の呼び方
こんにちは、堅田店です
桜が咲いて奇麗だなと思う春も、あっという間にとおりすぎ
皆さんたのしみにしておられたゴールデンウイークも終わってしまい5月も後半入りました
これからの挨拶に必ず言ってしまうのが「今日も暑いね」と言う言葉
まだ五月だというのに真夏日だといわれています
そもそも何度から真夏日だと言われるのでしょうか
以下の区分で呼び名が変わります
区分名 条件(最高気温) 主なイメージ
夏日 25℃以上 暑い日
真夏日 30℃以上 真夏並みの暑さ
猛暑日 35℃以上 命に関わる暑さ
酷暑日 40℃以上 さらに危険な極端な暑さ
この名称できづかれた方もおられると思いますが、昨年と変わっている日があります
今回新たに加わったのが、最高気温が40度以上となる「酷暑日(こくしょび)」です
今年4月17日に決定しました
後、参考に熱帯夜とは
夕方から翌日の朝までの最低気温が25℃以上になる夜のことをいいます。
私事ですが、室内で涼しい場所での生活が主であった為、今まであまり暑さは気にならなかった
方でしたが、休日等で外で作業する時、暑い事もあってか年々持続力がなくなってきています
体力に過信してしまうと熱中症になってしまいます
適度な休息と水分補給が本当大切だと思います
桜が咲いて奇麗だなと思う春も、あっという間にとおりすぎ
皆さんたのしみにしておられたゴールデンウイークも終わってしまい5月も後半入りました
これからの挨拶に必ず言ってしまうのが「今日も暑いね」と言う言葉
まだ五月だというのに真夏日だといわれています
そもそも何度から真夏日だと言われるのでしょうか
以下の区分で呼び名が変わります
区分名 条件(最高気温) 主なイメージ
夏日 25℃以上 暑い日
真夏日 30℃以上 真夏並みの暑さ
猛暑日 35℃以上 命に関わる暑さ
酷暑日 40℃以上 さらに危険な極端な暑さ
この名称できづかれた方もおられると思いますが、昨年と変わっている日があります
今回新たに加わったのが、最高気温が40度以上となる「酷暑日(こくしょび)」です
今年4月17日に決定しました
後、参考に熱帯夜とは
夕方から翌日の朝までの最低気温が25℃以上になる夜のことをいいます。
私事ですが、室内で涼しい場所での生活が主であった為、今まであまり暑さは気にならなかった
方でしたが、休日等で外で作業する時、暑い事もあってか年々持続力がなくなってきています
体力に過信してしまうと熱中症になってしまいます
適度な休息と水分補給が本当大切だと思います
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2026年03月27日
悲恋
今回は滋賀県に昔から伝わる悲しい恋のお話を。
昔、湖西の比良村(旧志賀町)に住んでいた若くてかっこいい力士「八荒」。
彼が巡業先で相撲をとると土地の若い娘たちは、彼の姿を一目見ようと集まり、あたかも押しのアイドルをみるように騒いでおりました。
或る日、湖東鏡村(今の竜王町あたり)で相撲の興行があり、「お満」という村娘が八荒に一目ぼれしてしまい、恋心をもやしたお満さんは情熱的に八荒に告白します。
その切なる想いを聞いた八荒は「それほど私が好きなら百日の間、琵琶湖の対岸の私のところまで毎日会いにきたら嫁に迎えてやる」と伝えます。
恋心に燃えるお満はそんな難題もいとわず男を信じ、雨の日も風の日も夜になると村を抜け出し、守山の浜のあたりから木で作った大きな桶のようなタライを船の代わりに八荒に会うべく琵琶湖へと漕ぎ出し続けました。
八荒は八荒でお満が道に迷わないようにと対岸の浜辺で灯りを焚き、毎夜お満がやってくるのを待ち続けたのです。
やがてあと一日で思いを成就できるところまできた時、八荒はお満のあまりの積極さが急に怖くなり灯明を消してしまった・・・。
お満はそれとも知らず、今宵で願いが叶うとタライに乗り暗闇の湖上に想いを燃やし漕ぎ出したところ、いつもの灯りが見えず、いつしか方向を見失い途方に暮れてしまいます。
すると突然湖上に突風が吹き荒れ、お満はタライもろとも湖中に葬られ哀れな最期を遂げたのでした。
この暴風は数日続き、数日後湖岸にはお満が乗ったとみられるタライが見つかりました。哀れに思った村人は、これを拾い持ち帰って神社に祀り慰めたところ、やっと大風が静まったといわれています。
現在でも毎年3月下旬、比良山のほうから強風が吹くことがあり、ただこの強風が収まるころには湖国にも春が訪れるため「比良の八講荒れじまい」といわれるものがあります。
おそらくお満さんが最後に受けた突風は、この比良の八講だろうといわれています、
村の人がお満さんの霊を慰めたら大風が終わる、その話はまるでお満さんの恋が終わりを告げると共に季節が春になるという全く胸が締め付けられるような感覚を覚えてしまいます。
この話は別のバージョンがあって、男が力士の八荒ではなく比叡山のお坊さんだったりとする話もありますが、共通するのはお満さんの一途さと、男の卑怯さです。
現在守山市の琵琶大橋料金所のあたりに、お満さんの霊を慰めるため、「お満灯籠」という名の立派な灯篭が建てられています。
以上、滋賀県に伝わる悲しい恋のお話でした。
昔、湖西の比良村(旧志賀町)に住んでいた若くてかっこいい力士「八荒」。
彼が巡業先で相撲をとると土地の若い娘たちは、彼の姿を一目見ようと集まり、あたかも押しのアイドルをみるように騒いでおりました。
或る日、湖東鏡村(今の竜王町あたり)で相撲の興行があり、「お満」という村娘が八荒に一目ぼれしてしまい、恋心をもやしたお満さんは情熱的に八荒に告白します。
その切なる想いを聞いた八荒は「それほど私が好きなら百日の間、琵琶湖の対岸の私のところまで毎日会いにきたら嫁に迎えてやる」と伝えます。
恋心に燃えるお満はそんな難題もいとわず男を信じ、雨の日も風の日も夜になると村を抜け出し、守山の浜のあたりから木で作った大きな桶のようなタライを船の代わりに八荒に会うべく琵琶湖へと漕ぎ出し続けました。
八荒は八荒でお満が道に迷わないようにと対岸の浜辺で灯りを焚き、毎夜お満がやってくるのを待ち続けたのです。
やがてあと一日で思いを成就できるところまできた時、八荒はお満のあまりの積極さが急に怖くなり灯明を消してしまった・・・。
お満はそれとも知らず、今宵で願いが叶うとタライに乗り暗闇の湖上に想いを燃やし漕ぎ出したところ、いつもの灯りが見えず、いつしか方向を見失い途方に暮れてしまいます。
すると突然湖上に突風が吹き荒れ、お満はタライもろとも湖中に葬られ哀れな最期を遂げたのでした。
この暴風は数日続き、数日後湖岸にはお満が乗ったとみられるタライが見つかりました。哀れに思った村人は、これを拾い持ち帰って神社に祀り慰めたところ、やっと大風が静まったといわれています。
現在でも毎年3月下旬、比良山のほうから強風が吹くことがあり、ただこの強風が収まるころには湖国にも春が訪れるため「比良の八講荒れじまい」といわれるものがあります。
おそらくお満さんが最後に受けた突風は、この比良の八講だろうといわれています、
村の人がお満さんの霊を慰めたら大風が終わる、その話はまるでお満さんの恋が終わりを告げると共に季節が春になるという全く胸が締め付けられるような感覚を覚えてしまいます。
この話は別のバージョンがあって、男が力士の八荒ではなく比叡山のお坊さんだったりとする話もありますが、共通するのはお満さんの一途さと、男の卑怯さです。
現在守山市の琵琶大橋料金所のあたりに、お満さんの霊を慰めるため、「お満灯籠」という名の立派な灯篭が建てられています。
以上、滋賀県に伝わる悲しい恋のお話でした。
posted by optical-shimizu_blog at 19:29| Comment(0)
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