安曇川町の観光場所として名があがる所としては
道の駅 藤樹の里あどがわ
著名な神社
びわ湖 こどもの国
謎の中国式庭園
シミズ安曇川店
など見どころは沢山ありますが、今回私が気になってお話したいのは少し昔の安曇川の話。
実は安曇川には古墳が多く見つかっています。
琵琶湖にそそぐ安曇川下流は広大な扇状地・三角州になっていて土地が肥沃だったこと、中国などの大陸文化が朝鮮半島から福井県若狭から入って大和地方へ届くまでの道筋途中だった事から、大陸からやってきた人が住み着き、大陸の文明が伝えられ安曇川は縄文の昔から栄えた土地でした。
今の感覚では首都東京(その時代では大和王朝?)の近くにある海(琵琶湖)のある町、横浜と同じくらいのイメージでしょうか。
ここで私が小耳にはさんだ噂話を一つ。
今から1300年以上の昔、朝鮮半島を収めていた百済王国と新羅王国の間に大きな戦争がありました、百済を応援していた日本も百済を助けるべく加勢に入ります。
しかし残念ながら唐の強力な応援をもらった新羅に百済は完敗し百済王国は滅亡してしまいます。
滅亡した百済の王族は国を逃れ、海を渡り安曇川の土地にたどり着き、いまの三尾里あたりで暮らしたと・・・。
この王様一族も、もし新羅の追手に見つかったらやばいことになってしまいますので、誰にも知られることなく静かにひっそりと暮らしていたことでしょう。
でも、昔の安曇川の人たちはこの王族の方たちをとても大切にし、親切に尽くしてあげたそうです。つらい思いをした王族の方も、ここでの暮らしにすこしは救われたのかもしれません。
このお話は正史には載っていません、あくまで噂話です。
もしかしたら荒唐無稽な話かもしれませんが、このおとぎ話のような昔話が好きで本当にそうだったら良いなと思いまし、亡国の流浪の王様のお話などロマンチックにもほどがありますよ。
他にも歴史から忽然と消えた安曇氏の話とか、リアル天皇家の始祖である継体天皇のお話とか話題はたくさんありますが、紙面の都合上割愛させていただきます。
そんな安曇川の歴史の一端が知れる企画展が開かれています。
(令和8年4月7日〜12月27日まで)
今回は戦国時代の高島市がメインの企画ですが、古代の人たちの暮らしぶりがわかる展示もたくさんありました。
自分はこんな昔の人の暮らし方が想像できる企画物が大好きなので満足です。
もし少しでも興味がありましたら是非、入館料300円!お値打ちです。