むかしむかし平安時代後期まで、この地に阿曽津と呼ばれる港町がありました。
阿曽津は塩津、海津と並んで琵琶湖北湖の交通の要衝の港として栄えていたそうです。
昔は越前地方でとれた物資や、朝鮮半島から渡ってきた物や人を、陸路で敦賀や小浜を超えて運ばれ、そして琵琶湖北部の港からは荷物を船に積み湖上を運んで京都まで届けていました。
そのため琵琶湖北部の港は今では考えられないほどの賑わいがあったのです。
でも今は阿曾津という街や港はありません、現在の塩津地区や海津地区のように人が住んでもいません。
なぜなら阿曽津の港は太平洋に沈んだムー大陸のように、一夜にして琵琶湖の底に沈んでしまったからです。
西暦992年の宝永大地震、1185年の文治大地震のどちらが原因かわかっていないようですが、突如起こった地震による琵琶湖で発生した津波に阿曾津地区は襲われ、にぎやかであったであろう港は地図から消えました、その地区に伝わる話では本当に一瞬の出来事であったそうです。
街が琵琶湖に沈むというのも衝撃ですが、琵琶湖でそれほどの規模の津波が発生したというのも同じくらい衝撃を受けました。
余談ですが琵琶湖岸沿岸では、過去に何らかの原因で、湖の底に消えてしまった集落や建物などの伝説は高島市の三ツ矢千軒跡など12程あるそうです。
その多くは浅い湖岸近くにあるため、夏場などで琵琶湖の水位が下がった時などは湖水の中に遺跡らしきものを見つけることも可能になります。
そのように湖底に消えてしまった原因はいくつかあるのでしょうが、阿曽津のように大地震などでの津波や、地震によって地盤が緩む液状化現象などで地滑り的に街や建物が琵琶湖の底に沈んでしまうことが多いそうです。
世界で起こる大地震の1割以上が集中する地震大国日本に住む私たち。
防災グッズの準備とか出来ることは多くはありませんが、取り敢えず昔の天災などの歴史を知ることで心構えを強くしておくことは、大事なのかもしれませんね
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